同性愛者は異形の者なの?

美輪さんは異形、と前に書きました。

美輪さんは、異形の者です。これは悪口ではありません。自ら衣装を身に纏い、異形の者として、世間の外からしかできない方法で表現を、鋭い指摘をしてきたのが、美輪さんの偉業だと思っています。カーストで言うとアウトカーストだし、マジョリティではないことを武器にサバイバルしてきた、そんな人だと思っています。

同性愛者は異形なの?

同性愛者や、女装をする男性を異形などと言ってしまっては、ゲイの権利を訴える人や、ゲイリブ的な活動をする友達には批判されると思います。とんでもないことだ、って。でもやっぱり、私にとっては私自身を含め、同性愛者って異形の者なんです。

自然の成り行きでは、男性と女性は愛し合い、交配して子孫を残す。それが生命の使命だと思います。でも、どんなワケかそっから外れた存在として自分が生きています。

日本は特別な国

私はマイノリティに優しい日本に生まれましたが、イスラム圏とか同性愛が違法の国などにも住んだことがあります。ある種の途上国では結婚して子孫を残すということは、人生で一番大事なことです。そういう文化の中で、自分の存在ってなんだろう、と考えたとき、やはり自分は異形の者なのだという結論に至りました。

でも、それは私が望んだものでもなければ、今更変えられるものでもない。それならば、異形にしかできないことをするのが自分の生きる道なのだと思うようになりました。

異形でないとできないこと

たとえば、美輪明宏さんが女装に黄色いふわふわヘアーでありがたいお話をしてくれるのは、社会規範の外側にいるからこそ見えてくるものを語ってくれているのだし、説得力があるように思います。また、マツコデラックスしかり、あの姿で風刺をすることが何より大事なのだと思います。

しかし、異形の者として生きるのは辛い道だと思います。誰もがそうするべき、なんて少しも思いません。ゲイだって傷つきやすい普通の人間なんだっていうアピールも当然、あるべきだし、一方ゲイとして生まれたからには異形のモノとして言いたいこと言わせてもらうっていうアピールもあるだろうし、それは、一つの事柄の裏表のようなもので、ただ、各人が心の平和に至る方法論の違いなのかなと思ったりします。

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