マイノリティのがんばり

フィフィさんのことについて書くときに、あまり悪口とか、責める書き方にならないように気をつけていたら、4回も書き直していた。

というのは、彼女の正直なキャラとか、正論ばっさばっさ言うところは好きだから、なるべく悪意のある感じに書きたくなかったんですよ。

彼女はエジプトからの移民で、でもたぶん日本でずっと育っていて、日本の社会にはそういう人がたくさんいるけれど、日本社会で日本語で教育を受けてきたのに、どこまで行っても外国人として扱われるって言う経験してると思う。しかも女性で、子育て中の母親。移民、女性、母親ってマイノリティレベル高いと思う。

で、私自身海外に居住していて(マイノリティ1)、男性同性愛者で(マイノリティ2)、イスラム圏で中年の独身男(マイノリティ3)っていう人間で、自分の中のマイノリティな部分がすごく共感できるせいだと思います。

マイノリティとして生きていて、マイノリティに閉じた世界に引きこもらずに社会に参加していると、どうしても言いたいことばっかり溢れてきてしまって、時々それが強すぎてストロングスタイルになるようなことは、自分自身あるし、在日の友達にもありがちなことだし、そこはよく理解できるんですよね。そういう、マイノリティのがんばり、みたいなもの。

特にマイノリティの窮屈さを、積年の恨みに想っている場合(例:選んで同性愛者になったわけじゃないのに、学校では馬鹿にされ、友達もできず、こんな自分に誰がした→社会が悪い、みたいな)、そういう積み重ねた恨みを晴らすように、反社会的な言動をしたり、過激な行動をしてしまう人は多いと思います。

でも、その恨みの矛先を間違えるのも駄目だし、恨みのパワーをちゃんとコントロールできなければ、ただの迷惑な人になっちゃうので、みんなも気をつけよーね、って話でした。

ちなみに、恨みの矛先を間違えたり、恨みのパワーをコントロールできていない場合こういうことになります

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