嘆く人でいるのはやめよう

私は、お金や容姿に恵まれてもいませんし、ロスジェネと言われる世代に生まれ、加えて幸か不かマイノリティなので、色々と面倒くさいことも多いです。でも、基本的に楽観的に、笑顔で笑って生きるのが一番と思っています。特に、マイノリティっていうことに関しては、人生のある時期まで自分の中で折り合いが付かず、どうしてこんな身空に生まれてしまったんだろう、とか、クヨクヨと嘆いていました。でも、あるときから、そんな風に嘆いて生きるのが馬鹿馬鹿しくなってしまって、マイノリティとして生まれないとわからなかったことがたくさんある、だから、マイノリティで良かった!と今では思っています。

嘆く友達

嘆くことが癖になっている人は多く居ます。彼らは、生まれを嘆き、境遇を、生活を嘆き、ある友達などは会うたびに新しい嘆きのネタを仕入れているんじゃないかと思うくらい、よく嘆いています。私はいつも、変えようがない過去のことを幾ら嘆いても時間の無駄だから、嘆いてる暇があるなら原因をきちんと特定して改善するか、忘れてしまえばいいのに!と言います。でも、彼女は原因も解決策もとっくにわかっていて、それでも何もしようとしません。私は匙を投げて、彼女に嘆きの天使とあだ名をつけました。

嘆く効用

嘆くことは、精神衛生にはいいのだと思います。話すことで気晴らしにもなるし、問題を嘆くことで、問題があるのに放置している罪悪感からは逃れられるのだと思います。私は何もしてないわけじゃないのよ、一応は考えてるんだからね、っていう自分へのエクスキューズになりますね。

嘆くことでいいこと、悪いこと

嘆くのは別に悪いことじゃない。むしろいい側面もある。でも、いつも嘆いてることで失うものは何でしょうか。私は、あまりに嘆く人とはああまり会いたくないです。だって、会うたびに浮かない顔をして、辛い思い出ばかり語る人とリピートしようと思うでしょうか。ブログやTwitterも同じだと思います。書けば書くほど憂鬱になってゆくTwitterアカウントとか、あまりフォローしたくないです。だから、そういう人の周りにはやっぱり同じように嘆く人たちが集い、元気な人や明るい人はそっと離れてゆくんじゃないでしょうか。失うものは、信用とか人脈です。

癖になるネガティブ思考

ネガティブな思考回路がいったん出来てしまうと、全部のできごとをネガティブ回路を通じて理解するようになります。私の人生がこうなのは、アレのせい、コレのせい、ダレのせい・・・。問題を人のせいにしてしまえば楽チンなので、ネガティブ回路はすぐに出来あがります。すると、ネガティブなことしか言わないようになり、明るい人は去りネガティブな人同士で集い、すっかりネガティブループにはまり抜け出せなくなります。嘆くことに限らず、怒る癖のある人、不平を言う癖のある人も同様のことが言えます。なにかにつけて怒りをふりまいて、怒るネタが無くなればわざわざ怒るネタを探しているような人、いませんか?

ポジティブを癖にしよう

ネガティブ思考が癖になるなら、ポジティブ思考も癖になる?ポジティブ思考は癖になります。はじめは、ポジティブに考えることがなんだかキレイゴトみたいだし、そわそわするものです。でも、思い込みでもいいから、なんでもポジティブに、前向きに捉える癖をつけると、表情も行動も変わり、建設的で明るい友達が増えます。明るい友達と一緒にいると、考えもどんどん明るい方向に流れてゆくものです。どうせ癖にするなら、ネガティブ思考よりも、ポジティブ思考を癖にするほうがずっと楽しいし、得です。

嘆かず、怒らず、楽天的に

特にセクシャルマイノリティの場合、ネガティブ思考に陥る若い人はとても多く、極端になると死を選んでしまったりすることもあります。ゲイなどマイノリティは、どうしても生きづらいものです。それに、性志向を変えることはできません。それならば、ゲイであることを嘆いたり、わが身を呪ったりする前に、どうしたら自分にとって生きやすくなるか、何を変えればハッピーで楽観的になれるのかを一生懸命考えるのが賢いと、アルゲイは思います。それは、一種のサバイバルです。

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