広い世界を見よう。

自分が男性が好きな男性だと気づいたのは小学4年の頃だったりします。異性への憧れとか、性欲っていうのがチラホラ話題に上ってくる頃、自分だけが人と違うっていうことがとても不安で、自分は死ななきゃいけないのかも(今思うと、なんと、おおげさ!)と本気で思っていた10代を過ごしたんです。その頃はインターネットもありませんでしたから、時々本屋さんで見かけるバラ族っていう雑誌が唯一の手がかりだったりしました。でも、学校の近くの本屋で制服姿でバラ族を買うなんて、すっごくリスキーですよね!(でも、一度だけがんばって買いました!)

その後おおきくなったアルゲイは、アルバイトで貯めた金を元手に、世界各地を見て回るようになります。今まで20カ国以上行ったり住んだりしたことがあります。

色々な人に会いました。途上国で土と同化したように生きる人々、今日のご飯が買えない人々、結婚の自由が無い社会、お金が無くて受けられない教育・・。

そういったことの中で、自分が抱えていた問題、好きな男性とのセックスを求めるという問題を改めて考えました。世の中には拉致されるように結婚する女の人がいたりするというのに、自分の問題は果たして問題なのだろうか。お金が無くて教育を受けられない人がいる中で自分の望みは妥当なのか、食べるものが無くて死んでゆく人の中で、「希望通りのセックスがしたい」という自分の悩みとは何か。

結局、自分の中で9割以上を占めていて、死のうとさえ思いつめていた「孤独な同性愛者の自分」っていう問題が、あまりにも小さくなってしまって、もっと自分の専門性を高めたり、途上国のために何かできないか考えたりすることのウエイトが増しました。

そういうことを、自分の中の問題点の矮小化とか、ごまかしであるという人もいます。しかし、もしも自分の中の問題に押しつぶされようとしているときに、生き残るためにすがる手段を、他の人が否定することができるでしょうか。

もしも、自分の中の問題というのが大きくなりすぎて、押しつぶされそうになったときには、少しそれらを忘れて、もっと大きな世界を見ることとか、もっとたくさんの世界を見るっていうところに解決を求めることは、私はアリだと思っています。

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